ドランブイってウイスキー? 伝授された秘密の製法
今回の豆知識のテーマは『ドランブイってウイスキー?伝授された秘密の製法』です!
ウイスキーやカクテル好きの方はご存知だと思いますが、ドランブイといえば、甘い、でもウイスキーのような…味ですよね。
映画『ハスラー2』で、ポール・ニューマンがドランブイを飲むシーンがあって、格好良いお酒のイメージがあります。
ドランブイは、モルト・ウイスキーをベースに作られる、リキュールの1種です。
そして、ある一部の人間にしか飲まれていなかった、格別なお酒で、本当だったら世に出回ることのなかったお酒なのです……!
これは一体どういうことなのでしょうか?
今回は王家秘伝のお酒として名高い、英国産のリキュール、ドランブイを紹介したいと思います!
伝授された英国王家の秘密の製法
ドランブイはもともと、スコットランドのスチュアート王家で、代々受け継がれてきた秘酒でした。この王家の秘酒が一般に市販されるようになったことについては、一つの歴史的で素敵なエピソードがあります。
1745年、英国で王位継承のための戦いが勃発しました。 当時チャールズ・エドワード・スチュアート王子は兵を挙げましたが、戦いに破れてしまいました。
しかし、頼みのフランスとも連絡が取れず、スコットランドのスカイ島への逃走を余儀なくされます。
この時敗れたチャールズ王子を助けたのが、地元の豪族マッキノン家でした。
当時、チャールズ王子には30000ポンドもの賞金が懸けられていたにもかかわらず、マッキノン家はチャールズ王子への忠誠を守りぬき、チャールズ王子をスコットランド北西にあるスカイ島からフランスへ亡命させることに成功させました。
チャールズ王子はマッキノン家への感謝のしるしとして、王家伝統のドランブイの秘密の製法を授けました。
これが、ドランブイの歴史の始まりです。
とはいえ、授かった秘酒をすぐに商品化しては王子に失礼と考えたマッキノン家の人々は、これを一族の間だけで伝えていくことにしました。
時は流れて約200年後の1906年、マッキノン家の子孫がこの伝来の製法をもとにドランブイを復活させ、エジンバラ市で企業化すると共に販売を開始しました。
ここにおいてドランブイがようやく日の目を見るようになり、現在に至っています。
一般市販されるようになった今でも、そのラベルには「チャールズエドワード王子のリキュール」の文字が明記されています。
これらの歴史がなければ、このドランブイというリキュールは世に知られることはなかったかもしれません。
なんとも良い誕生エピソードですね。
これほど慕われたチャールズ王子が、一体どのような人物だったのか、興味がわきます。
心を満たす飲み物
チャールズ王子より伝授されたレシピから試作が繰り返され、完成された試飲会で披露された時、これを飲んだ人々は一斉に「アン・ドラム・ビュイ」と絶賛しました。これはゲール語で「満足のいく酒」という意味です。
こうして、このリキュールの名前は「ドランブイ」として広まり、やがて世界へと送り出されることになったのです。
直訳すると「心を満たす飲み物」といい、今もその名のとおり愛され続けています。
まとめ
味は、スコッチウイスキーに甘さと複雑な香味が加わったというイメージになっています。映画『カサブランカ』で知られるハンフリー・ボガードは、マティーニと共にこのドランブイフリークで有名で、彼の行き付けのバーではドランブイの減り具合で旅に出ているかいないかを判断したという逸話が残っています。
ボギーはお湯割で愛飲していたそうです。
日本ではリキュールを飲まれる男性は少ないですが、甘いものが苦手な方も、食後のデザート代わりやナイトキャップに、程よい甘さを楽しんでみて下さい。