スコッチウイスキーの吟遊詩人、ロバート・バーンズ。その②
ロバート・バーンズの生涯
1759年、バーンズはスコットランド南西部エアー郊外、アロウェーの貧しい小作農の家に7人兄弟の長男として生まれました。 バーンスは、弟とともに農場で働きながら詩を作り始めます。 1786年、最初の詩集が発刊され、バーンズの詩人としての名声は一挙に高まりますが、生活は困窮していました。 ”詩人では食って行けない”と知っていたバーンズは農業を行ないながら作詞を続けます。 しかし、全く不毛の土地での農業に行き詰まり、徴税官の仕事を兼業するようになりました。 そして次第に農業を見切り、ダンフリースに転居し、徴税官を本業とするようになりました。 この時期、『シャンタのタム』(Tam o'Shanter)や『真っ赤なバラ』(A Red, Red Rose)などの優れた作品が生み出されました。 また自ら収集し、新たに作詞し直した民謡をMusical Museum(音楽祭)やSelect Collection of Original Scottish Airs(スコットランド民謡際)などで発表し成功を収めました。 しかしその一方で、バーンズの私生活は滅茶苦茶、お酒を飲んだくれ、しばしば複数の女性と親密な関係をもっていました。 1788年、かねてから恋人だったジーン(Jean Armour)と結婚し彼女との間の5人の子がいましたが、ほかに彼には9人の私生児がいました。 「ハイランドのメアリー」(Highland Mary)も数多くいた恋人の1人に捧げられた詩です。 女性への渇望はコントロールできなかったようですが、有名な恋愛詩、Ae Fond KissやO My Luv is Like、A Red Red Roseはこの心情の発露でしょう。 詩人としての大きな名声を得ているさなか、ロバートはリュウマチ熱に苦しんでいました。 そして1796年7月21日、リュウマチ性心臓疾患のため死去、享年わずか37才でした。 葬儀の列には一万人が加わったそうです。 現在でも毎年1月25日のバーンズ生誕の日は、世界中でバーンズ・サッパー(夕食会)が開かれています。ロバート・バーンズの詩を読む
「真っ赤なバラ」 A Red Red Rose愛する人は 6月に咲く 赤い赤い バラのようだ
愛する人は 音も妙に 響き渡る メロディーだ
愛する人よ 君の心の 深きが如く 私は愛す
愛しい人よ 君を愛す たとえ海が 干上がるとも
たとえ海が 干上がるとも 岩が熱に 溶けようとも
命の砂が 飛び散ろうとも 愛しい人よ 君を愛す
さようなら 愛しい人よ ここにしばし 暇を告げん
いつかまた 戻ってこよう たとえ遠く 離れていても
ロバート・バーンズは、短い生涯の最後の10年間は、スコットランド地方に伝わるフォークソングを精力的に採集し手を加え、それを後世に伝える努力をしました。 だからこそ、それらの詩が旧いスコットランド方言で書かれているのは自然のことです。 A Red Red Roseは、オールド・ラング・サインと並んで、バーンズのフォークソングの中でも最も愛されているものの一つです。
今は亡きスコットランドの息子を讃えて
バーンズの詩はスコットランドの心そのものです。 イングランドにシェイクスピアが生まれ、スコットランドにバーンズが生まれた、と言われるように今日もなお人々の心をつかんで離さない国民詩人として愛されています。 女性をめぐる行ないで、死後天国の門へやって来たバーンズが、聖ペトロに「お前は地獄行きだ」と追い返されるジョークがあります。 しかしこれだけ人々に夢、感動、勇気を与え、思想や英国文学には大きな影響をもたらし、ウイスキーにも多大の貢献をしたバーンズは天国でも良いのではないでしょうか。その①はこちら